追記3

「検査するという事で、待合室で待つコロちゃんと俺。

意外に時間掛かるん〜と言いながらも、無名大の話は尽きず盛り上がり、時計を見ると22時過」

20時半前の時点でも全く状況を知らされていない。
ただ、待っているだけ。
コロちゃんが「聞こうか?」と言われたが、敢えて「黙って待っててよ」と俺は答えた。
その後、看護婦さんに「ドンさんの車椅子を押して頂ける方一人お願いします。これからCT検査しますので。」と言われたので、正直俺は滅茶苦茶行きたかったけど、コロちゃんに頼んだ。
ここら辺の俺の心理は何だったのだろう。
何故そう思ったのかは覚えていない。
どれくらい掛かりますか?その言葉を使いたくなかったと思ったのは覚えている。
黙って待っていたかった。
今思えば、状況を何も知らされていない中で、万が一を考えると聞きたくなかったのだろう。
コロちゃんが戻ってくる20分くらいの間、落ち着かなかったのは覚えている。
入口外の喫煙所でタバコを吹かせながら、3つの事を考えていた。
一つ目は、検査の結果、異常が見当たらなかった場合。
二つ目は、何らかの形で後遺症が残る場合。
三つ目は、アウトの場合。

俺が勝手に考えた、後頭部強打した時の通常モードからの移行率
通常モードへ 80%
異常モードへ 17.5%
爆死モードへ 2.5%

こんな感じに考えていた。
ネタっぽくあるけどマジで考えてた。
最近、俺の悪いヒキが異常に強かったし、異常なドンのヒキ強も見てきたから、異常Mと爆死Mを引くんじゃないかも知れないと。
強打時に痙攣して即救急車を呼ぶ状況だったら異常Mと爆死Mの移行率は高くなるに決まっている。
異常Mと爆死Mを選択した場合、みんなにどう知らせるかとか。
特に異常Mは通常Mと最初は見分けが付かなく、潜伏してる場合もあるはず。
長い一服だった。
再び待合室に戻って、目に止まった幼児用の一つの絵本を読んだ。

「みず」

水の輪廻について分かりやすく書いてあった。
ドンは水のような存在であり、一つの形には留まらず、いつも自由な形で、もし爆死Mを選んでも無名大に戻ってくる気がした。
いや、そう例えたかった。
そんな事を考えながら、読み終えた本を戻したところで、コロちゃんが帰ってきた。
正直、状況を聞きたくなかったが、本人を見てきたコロちゃんにはその事を聞く意外、会話が思いつかなかった。

(コロ)<大丈夫そうだったよ。

ホッとした。

無名大話で盛り上っていたのは確かだが、実はみんなに連絡をするかしないかの話は出ていた。
結果的に報告をしなかったのだが、言い訳をすれば、病院内でケータイは不可能。
外ですればいいのだが、ヌクヌクした待合室と外との気温差の違いと、何より異常Mか爆死Mを引いてしまったかも知れない事を考えると言えなかった。
仮にそうだとしても、ずっと一緒にいた仲間にいずれ知れ渡ること。
知る権利というよりは、知る義務がある。
ワガママだと知りながらも、通常M滞在濃厚を目で確認するまでは報告はしたくなかった。
その分、他の仲間からすれば余計にショックを与える結果になると分かってながら。

でも、脳裏には母方の亡くなった伯父さんの姿があった。17歳の時だった。
骨肉腫?漢字は合っているか分からないが、血や肉が腐っていく病気。
ちょうど田舎のばあちゃんちに行った時だったが、見舞いに行っても日に日に衰弱していくのが分かった。
帰ってから数日経ったある日、その日は見舞いに行くのを辞めようと思っていた。
正直もう会いたくないとまで思っていた。
体も大きく強かった伯父さんだったので、想像し得ない姿を見たくなかった。
そして一本の電話で、病院に行く事になった。
病院に着くと医者も看護婦もバタバタしていた。
人工呼吸器を取り付けられ、荒々しく息をして明らかに苦しんでいる伯父さんがいた。
いわゆる目を覆いたくなる光景。
脈拍も呼吸も乱れ、心電図が素人でも分かるくらい可笑しく反応していた。
病室から逃げ出したかったけど、足が動かなかった。
そして・・・

ピーーーーーーーーー!!!!!

ドラマで見た事のある音が聞こえた。
電気ショックを与えようとした時、涙すら流さず今までずっと黙って見ていたばあちゃんが初めて動いた。

「もう止めよ・・・」

初めてばあちゃんが涙を流した瞬間だった。
親からすれば自分の息子が先に死ぬ。
これ程辛い現実はないと思った。

実はその一年前の16歳の時、じいちゃんが亡くなっていた。
俺はこっちにいる時に知らされたので、死ぬという現場を目にしなかった。
物心の付いた頃にはじいちゃんは車椅子生活で、もう長くはないことは知っていた。
何人もいる孫の中でも俺だけには優しかった。
ばあちゃんもじいちゃんも俺だけは怒っていない。
俺がどんなワガママを言っても、いつも笑っていて俺には怒った事がない。
その分、母が怒られているとは思うけど。
じいちゃんが亡くなった時、どうしても現場をいたいと思っていた。
最期を見届けたかったと思った。

その時はそう思ったのに、伯父さんの時は逃げ出したかった。
現実はそうだった。
ただの感情論だけなら、「亡くなった」と言われるよりも亡くなる瞬間を目の当たりにする方が、現世に残される人には辛すぎる。
だいぶ脱線したがそういうのを思っていた。
大げさかも知れないが、それもあってとりあえずは無事という事が確認できるまで、みんなには報告したくなかった。

実に自分勝手な話である。
俺が居残り組なら確実に怒っている。
状況が分からないなら分からないで、待機中だが連絡がないという報告くらいしろと。
心配してるのはオマエラだけではないと。

みなさん、特に暗殺者には余計な心配をかけてしまったので、申し訳ない。

状況説明がどっか行ってしまったので、元に戻すと・・・
アレ?何処だったっけ?と自分のブログを読み返す自分。
コロちゃんから状況を聞いてホッとして、また無名大の話だったんだよね、確か。
今夜どうする?とかカラオケ?懐古厨?キャハハハハ☆とかだった気がする。
マジでそんなんで、急患用の待合室だったので、色んな患者さんを見学しながら、待ってたら、22時過ぎて、「病院で徹夜かな?あったけぇ〜から寝るだろうし、俺は構わんよ!」とか言ってた気がする。
昨日の事なんて細かく覚えてねーよ!!!!!!!!
俺も記憶喪失か・・・。
虎ノ門行ってくるか、ついでホーケーでも治して来るか。
ってことで、フランスのオグリ君が初ゴール決めたらしいので、ウイイレやりたくなった。